ユニクロを着てブルーボトルコーヒーを飲む、ということ。
“コーヒー界のApple”などと称され、昨今何かと話題の「ブルーボトルコーヒー」に
ミーハーな僕も行って参りました。
コーヒー界の“Apple”「ブルーボトルコーヒー」が日本に上陸!! - macaroni
到着したのはAM8:40、待つこと30分して店内へ。
店内はコーヒーの香りで満たされておりました。
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そこで一つばかり、それは近くの木場公園内を歩いている時、ふと思ったことがありました。
僕はお金をたくさん持っている訳ではないので、自ずと洋服にかけるお金も少なくなっていきます。結果としてファストファッションと呼ばれる低価格ブランド、とりわけユニクロを身につけることが多くなっています。
そして今日もいつもと何ら変わらず、まさにタイトルに冠したように、
「ユニクロを着て、ブルーボトルコーヒーを飲む」ことをしたのです。
この状況に、最初に書いた通り、「はて?」と思わされたのです。
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それではなぜ僕は「はて?」と思ったのかを順を追って記していきます。
- ユニクロについて
- ブルーボトルコーヒーについて
- 感じたこと
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1、ユニクロについて
ユニクロは言わずと知れた、日本を代表するファストファッションブランドである。
毎週、大量の商品が大量のバリエーションと各種サイズで店頭に並んでくる。
最近は(と言っても結構前からだが)企業やデザイナーなどとのコラボ商品やトレンドを抑えた商品を展開し、すっかり“安くてオシャレ”なブランドとして定着していると思う。
そんなユニクロのコンセプトは「MADE FOR ALL」だ。
国籍。年齢。職業。性別。人を区別するあらゆるものを超えた、あらゆる人々のための服。
解釈は様々であると思うが、これは「大衆への迎合」や「大衆への積極的参加」、「匿名性」と受け取ることも出来る。
そしてそのことは街を見渡せば、一目瞭然だ。
流行のスタイルに身を包み、身につけているものはユニクロ、といった光景は改めて口にするのが憚られるほど溢れかえっている。
ユニクロは人々にオシャレをすること、流行に乗り遅れないことを可能にしたのと引き換えに、服による個人の差別化を奪い取ったといっても過言ではない。
2、ブルーボトルコーヒーについて
ブルーボトルコーヒーは昨今”コーヒー界のApple”などと形容され話題となっているカリフォルニア生まれのコーヒー生産企業だ。
これまでのチェーン店とは異なりコーヒー豆、豆の生産者、それらが消費者の手に届くまでに徹底的にこだわった所謂サードウェーブコーヒーの旗手である。
コーヒーの生産地への配慮や価値などが注目されるようになり、コーヒーがカップに運ばれるまでのトレーサビリティ、豆の素材や淹れ方など、各々の工程にこだわるスペシャルティコーヒー
そう、実際にブルーボトルコーヒーに訪れると店の奥は焙煎場になっておりたくさんのコーヒー豆袋が置かれ、店内にはコーヒーの香りで満たされている。
そして注文をする際には店員から名前を聞かれ、名前を伝えると出来上がった時に「◯◯さん」と呼んで手渡してくれるのだ。
そこには確かに”個”が存在し、昨今の大量消費生産によって生まれた”匿名性”へのアンチテーゼに思える。
まさに先に挙げたユニクロの”MADE FOR ALL”とは真逆の”MADE FOR YOU”なのである。
「MADE FOR ALL」と「MADE FOR YOU」真逆とも思えるコンセプトの二つが混在
タイトルにも冠した「ユニクロを着てブルーボトルコーヒーを飲む」とは一人の僕の中に立派なアンチテーゼが生まれた瞬間なのだ。
そもそも”個”を大切にし提供されるものが、その話題性から立派な大行列を生み出している様は積極的な大衆化への参加を意味しているように思える。
SNS時代だからこそ生まれたこのアンチテーゼ
SNSが台頭したことにより、”個”ということがフィーチャーされてきた。
そこには人の中に潜在的に存在する”承認欲求”、個として認められたい欲求を象徴するあるいは浮き彫りにする道具としての側面がある。
しかしSNSはやっていないとついていけない、などと個にフィーチャーしたものであるにもかかわらず積極的な大衆化を促すという働きもしているようにも思える。
そう、SNSは大衆の中にあっても(流行に乗り遅れないようにする)個を大切にする(一人の個人として認められたい)という真逆な価値観をうまいこと生み出し同居させたのだ。
そんな現代を象徴しているかのようなことが「ユニクロを着てブルーボトルコーヒーを飲む」という僕の体験だった。